うまし国
もう一つの京都への旅「丹後王国」
京都市から北へ150km遡ると、日本海に面した京都府の北の端に位置する京丹後市があります。丹後には、3世紀から5世紀にかけて、邪馬台国や大和朝廷とは別に、独自の文化を持った「丹後王国」が存在したといわれています。
この「丹後王国」は、日本海を介した中国大陸や朝鮮半島との交易により優れた技術や文化を取り入れた一大先進地であったことがうかがえます。このことは、数多くの遺跡や古墳の存在、そこから出土した貴重な品々が証明してくれます。
まず、王の存在は、銚子山古墳(網野町)や神明山古墳(丹後町)といった200m級の巨大古墳から明らかです。交易の証しとしては、市内遺跡から出土した中国・新の「古銭」や中国・魏の青龍三年の年号が入った「方格規矩四神鏡」があります。それから、当時中国より運ばれたガラス原料かガラス製品の再加工品として日本で製作されたと推定されるガラスの腕輪などが、弥生後期の墳墓から見つかっています。
これらの品々によつて古代の物流拠点であったことがうかがえ、それらを探ることにより大陸の文化と人の交流に辿り着くことができ、古代の観光へと誘われます。
【ガラスの腕輪】
径9.7cm 岩滝町 大風呂南1号墓 弥生後期